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2012/08/16

南回りルートの考古学-分かっていること/分かっていないこと(3)

 南アジアの旧石器時代研究は、19世紀にはじまる長い歴史を持つ一方で、ヨーロッパ、西アジアを基準として組み立てられてきた枠組みとあわない部分が多く、編年、時代区分、年代といった基本的な部分についての論争がいまだに続いています。
 現代人ホモ・サピエンスの出現に関わる中期/後期旧石器時代に関しては、まず、典型的な(=ヨーロッパ、西アジアと共通すると言う意味での)中期旧石器時代が捉えられていませんでした。また後期旧石器時代についても、やはりヨーロッパ、西アジア的な石刃石器群が見つかっていません。代わりに、新しい細石器(幾何形細石器、日本で言うところのナイフ形石器に共通した特徴をもつ)が2万5千年前頃から出現し、氷河時代が終わった後も続くということが分かっていました。
 ところがその後、スリランカのファ・ヒエン洞窟(Fa Hien Cave)で、現代人ホモ・サピエンスの人骨と一緒に出土した細石器が3万2千年前まで遡ることが14C年代測定により明らかとなりました。同じ頃、南アフリカではハウィソンズ・プールト(Howiesons Poort)文化の細石器が従来考えられていたよりもはるかに古く、8~7万年前まで遡ることが明らかとなっており、またヨーロッパ南部などでは後期旧石器時代の初頭(4~3.5万年前)に細石器が現われることから、現代人ホモ・サピエンスの登場の示標として注目されるようになっていました。

画像:南アフリカ、ハウィソンズ・プールト(Howiesons Poort)文化の幾何形細石器(クラシエス川遺跡:Krasies River)、Mellars (2006) PNAS vol.103, fig.4.
  しかもスリランカの遺跡や、それ以前に発掘されていたインド中部のパトネ(Patne:2.5万年前)遺跡では、ダチョウの卵殻や石製のビーズ、前回画像を紹介した南アフリカの線刻赤土とよく似た異物なども出土していました。これらに注目した、イギリスのマイケル・ペトラグリアらは、一連の資料を南アジアにおける現代人の出現を示すものであるという論文を2005年に発表しましたJames, H.V.A. & Petraglia, M.D. (2005) Modern human origins and the evolution of behavior in the later Pleistocene record of South Asia. Current Anthropology, 46: S3-S27:JSTOR、論文の閲覧にはログインが必要)
。また現代人の世界への広がりについての大家にして「南回りルート」の強力な支持者でもあるイギリスのポール・メラーズは、この発見が、アフリカから南アジア、そしてオーストラリアをつなぐものであると論評しましたMellars, P. (2005) Going East. Science, 313: 796-800:本文閲覧は有償またはログインが必要)。
 簡潔に模式化すると、以下のとおりです。

アフリカ南部アフリカ北部レヴァントアラビア南アジア東南アジアオーストラリア
12万年前石刃
細石器
ルヴァロワ*ルヴァロワ(未到達)
8万年前石刃
細石器
ルヴァロワルヴァロワ(未到達)
6万年前石刃
細石器
ルヴァロワ*ルヴァロワ(未到達)
4万年前石刃
細石器
ルヴァロワルヴァロワ不定形石器不定形石器
3万年前石刃
細石器
ルヴァロワ石刃
細石器
石刃
細石器
不定形石器不定形石器
*ルヴァロワというのは、ヨーロッパ~西アジア~北アフリカの中期旧石器時代に特徴的な石器づくりの技術です。詳しくは、次回以降に解説する予定です
**表の枠の背景色は化石人骨の違いを示します。青:現代人、緑:ネアンデルタール人、黄色:原人(ホモ・エレクトゥス)

 さて、この時点ではレヴァント(西アジア地中海沿岸)より東側の不連続が目立ちますね。ただしそれは、情報の不足によるものでした。「南回りルート」がにわかに注目を集めたのは、その空白部分をいかにして埋めるかということへの期待からです。
 そして実際に、アラビア半島からインド、東南アジアの各地で発掘調査が盛んに行なわれるように成りました。

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